about Tsuru City

山梨県都留市って?

「LUMBER ROOM COFFEE」の所在地でもあり、オーナーである私の故郷でもある山梨県都留市。全国的にみても「どマイナー」なこの都留市の魅力や特徴を個人的な見解や幼少よりの記憶などを頼りに書き綴っていきます。

祭り

八朔祭り

毎年9月初めに行われる都留市最大のお祭り。大名行列やたくさんの露天商も並び、さまざまな催し物も行われます。

 

ふるさと納税

我が都留市にも「ふるさと納税」がもちろんあります。都留市出身だったり、都留文科大学に通っていたりした方で現在市外に在住の方はぜひ都留市を盛り上げるために、ふるさと納税という形で応援していただければ幸いです。

地域の特産品やレジャー体験など返礼品も様々です。

首都圏から河口湖へ向かう一歩手前

首都圏から中央自動車道をきて大月JCT河口湖方面へ曲がり、すぐのICが都留IC(河口湖ICの1つ手前)。
おそらく殆どの方が素通りして河口湖へ向かうと思いますが、都心から車でおよそ1時間半から2時間ほどの立地。

富士山方面へのドライブやツーリングなどで通過される方もおおいかとは思います。

何もないがどこへも近い

山梨県都留市富士山のある富士吉田市の東京よりに隣接した田舎町で、大きな観光資源商業施設などはありませんが、スーパーホームセンタードラッグストアなどは多く、首都圏をはじめどこへ行くにもほどほどにアクセスの良い、ある意味ベッドタウンとしては非常に暮らしやすい土地だと個人的には思っています。

都留文科大学

市内の中心地には都留文科大学があります。当店にも学生さんが多くご来店いただいてます。
大学の周りには当店を含め多くの個人飲食店スーパードラッグストア本屋など様々なお店が集まっており、市内でも比較的賑やかな場所となっています。

リニア実験線

現在都留市には、リニア新幹線の実験施設とリニア見学センターがあり多くの観光客が来場されています。
私も一度リニア見学センターに伺いましたが15分ほどの感覚で高速で通過するリニアを見ることができ、そのほかにもリニアモーターカーの仕組みや関連展示などを楽しむことができます。

見学センターのすぐ近くには「みちの駅 つる」も新しくオープンし、地元の特産品など購入することもできます。

さまざまなレジャー施設

自然に囲まれた都留市にはさまざまなレジャースポットがあります。

ゴルフ場

都留カントリークラブをはじめ、市内だけでも5つのゴルフ場があり、隣接する富士吉田、富士河口湖、大月、上野原も合わせると多くのゴルフ場が集中しており、首都圏からのアクセスも良いため多くの方がご来場されています。

渓流釣り、レジャー

自然に囲まれた都留市は渓流釣りの名所としても有名です。そのほか、バーベキューやキャンプなどもできる施設も多くあります。

宿泊・入浴施設

もともと観光資源に乏しい田舎町ですが、富士山が世界遺産登録されてから富士山周辺エリアという認識で都留市にも宿泊される方が増えてきており、民泊も含め宿泊や入浴の出来る施設が増えています。

歴史的背景

戦国時代「小山田氏」

山梨県といえば「甲斐」「武田信玄」が歴史的には有名ですが、都留市は「小山田氏」という国衆の治めていた都留郡という土地であり、甲州街道から分岐して富士山へ向かう富士道の要所として栄えた。

「小山田氏」と「武田家」

戦国時代は、甲斐国においては武田信虎(信玄の父)と駿河国の今川氏相模国の後北条氏が抗争をしていて、都留郡では小山田(越中守)信有が武田信虎・今川氏・北条氏と抗争を繰り広げていた。

1518年には武田氏小山田氏今川氏の三者間で和睦が成立し、小山田氏は武田家の家臣という形になる。その時に信虎の妹を正室として迎え入れる。

「谷村城」と「勝山城」

1530年小山田氏の拠点である中津森館(現都留市金井)が焼失、信虎の支援を受け拠点を谷村町(現都留市上谷)移し1532年谷村館(谷村城)が完成。谷村城と桂川を挟んだ山の上に勝山城が所在していたが、築城主、時期ともに不明。もともと谷村城の城砦であったという説がある。

「武田家・小山田家」の滅亡

1582年織田・徳川連合軍による武田領侵攻により武田氏は滅亡する。その際に当時の都留郡領主の小山田信茂が織田軍に出仕するも処刑され小山田氏も滅亡する。その後、織田家家臣である川尻秀隆が甲斐の領主となるが、本能寺の変から発生した一揆によって命を落とす。

「天正壬午の乱」徳川家による統治

本能寺の変により、三河国の徳川家康相模国の北条氏直越後国の上杉景勝の三者による武田領争奪の天正壬午の乱が発生。最終的には徳川家が甲斐の領主となり、徳川家家臣である鳥居元忠が都留郡を治めることになる。

江戸時代「谷村藩」と「秋元氏」

江戸時代に入り、秋元氏が藩主として谷村藩が成立し、用水堰の整備や郡内織を推奨し谷村城の城下町として発展するが、秋元氏川越藩へ異動し都留郡は幕府直轄の代官支配となり谷村城廃城となり町場は衰退していく。